自らにして消えてゆく国の民へ


マッカーサーの人物評

日本国内では評価が高い人物ですが、占領軍による報道規制を敷かれた時代の評価で、正しくはありません。

彼が日本において発した命令や執(ト)った言動を知れば人物の基礎が見えてきます。


写真米国占領軍マッカーサー司令官
占領軍マッカーサー司令官

 マッカーサーの人物評・1

 マッカーサーの日本人に対する限りの無い憎しみは

どのようにして形成されたのでしょうか。

 

 大東亜戦争開始時に日本陸軍はフィリピンを攻めます。当時のフィリピンは米国の植民地でした。

 

 攻める日本軍兵は4万人強で守る米国はフィリピ人の兵士を含めて15万人。結果は日本側の勝利になるのですが、マッカーサーは大統領命令とは言え、兵士を捨ててフィリピンから逃げ去りました。

 

ここでの屈辱の体験が占領後の

日本における数々の施策(シサク)に表れていきます。

 

マッカーサーが日本の厚木基地に体を震わし

ながら降りたったのが日本のポツダム受諾から

15日後の昭和20年(1945)8月30日ですが、

着任後のわずか9月11日には東京裁判で死刑を

言い渡すべく日本の政治指導者たちの

逮捕を命じています。

 

日本の国内以外の東南アジアをはじめ、

海外の戦地で投降した日本の将兵に対して

現地で裁判が行われ、下士官を含む多くの

日本兵が裁判の名を借りた私刑により

殺害されています。

 

戦地から苦労の末に日本にたどり着いた

復員兵に対しては仕事に就くことや国からの

支援を施すことを禁止するなどの厳しく

慈悲心の無い命令を発し、実施しています。

 

学校の先生や教員などは学校に戻ることが

できず、その穴をマッカーサーにより釈放された

共産党員などが教壇や大学で教鞭をとることと

なり、現在の教育の歪みのもとを生み、その教育で育った若者が社会に出ることにより現在の日本が

構築されていったのです。

 

マッカーサーの行為は図書類の焼却にも

およびました。いわゆる焚書です。

日本の国体やChina(シナ)の現状を著した書物を

主にして数千冊に至ります。

先人の貴重な考察や文献そして資料が

廃棄されてしまいました。

 

日本全国各地にある神社をも無くそうとしま

したが、神主たちの運動により難を逃れました。

 

実施されていたら日本の神社は

全て無くなっていたかもしれません。

日本神道は、八百万の神を敬い、自然に

敬意を払い、自然の中で共に生きてゆく、

日本に住む昔からの人々の知恵と霊性を表すものです。

マッカーサーの人物評・2

 日本にロシア革命を起こして、日本の国家体制を

転覆しようとして牢獄に収監されていた日本共産党の党員や左翼(リベラル)思想の持ち主を無罪放免に

したマッカーサでしたが、その共産党の驚くべき

脅威を身を以て体感することになります。

 

それが朝鮮戦争でした。

 

国際連合の派遣軍司令官となったマッカーサーは

China(シナ)ゲリラであった人民解放軍と北朝鮮の

共産党両軍の雲霞(ウンカ)のごとく湧き出す兵士に圧倒され、時の米国大統領のトルーマンに原爆の使用を願い出ますが却下されています。


 先に焚書の件を表しましたが、マッカーサーは

東京での在任中は厳しいほどの言論の統制を行っています。

 

彼が後追い法で開廷させた東京裁判では

満州事変以降の戦闘において日本軍が行ったこと

だけを取り上げてひたすらに悪事として糾弾し、

日本のみを一方的な悪者に仕立て上げて、

その模様を日本国民に伝えさせ続けました。

 

日本弁護団や被告となった日本側指導者の

証言などで連合国側に不都合な個所は全て

報道させませんでした。

 

それに従わない報道機関や雑誌社は発行、

発刊を差し止められ、朝日新聞は2日間の

発行停止で音(ネ)を上げています。

あげています。


東京裁判の目的は、当時の日本人が持っていた

道徳や文化そして価値観とそれらに立脚した規律

それに勤勉性などのすべてを否定し、日本国民の

精神を崩壊崩壊させて、日本国自体の存立を破壊

する目的の裁判でした。

 

日本国民の精神崩壊と日本国の存立の崩壊は

米国指導者の目的であり、日本人指導者への死刑の

言い渡しと刑の執行はマッカーサーの怨恨晴らし

だったのです。

米国政府とマッカーサーの埋め込んだ毒は戦後70年以上を経た

現在も日本人の精神を崩壊し続けており、日本国自体も崩壊を続けています。


 白人至上の植民地時代に米国の陸軍士官学校を優秀なる成績で卒業した

男は、アジアでの米国の植民地対象となっていた日本陸軍に、それも3倍

もの軍事力を有しながら敵わず敵前逃亡を図りました。生来の癇癪(カンシャク)

もちであった男の憎しみの怒りは怒髪天を突き、日本赴任後の東京裁判に

引きずり出す日本側政治指導者の逮捕などの性急な行動へと突き動かします。

 復讐の一念にとらわれた男には、米軍により全てを焼き払われた占領地の

焼け跡地の日本では日本の文化や芸術を理解することもできず、またその

素養もなく、日本人憎しの一念のみでした。

 米軍の駐留経費を全額負担させられた日本政府には国民を飢えさせる事しか

できない中、それでも道徳心と相手への心遣いを忘れぬ秩序と規律ある日本の人々の日々の生活を垣間見ることにより、多少の理解を得ることになるのでした。